4-7-1  2005/12/11



 先日新聞を読んでいて、飯豊天皇という活字を始めて
 新聞紙上で見かけました。
 飯豊天皇陵とは宮内庁が管理する天皇の墓ですが
 実は公式の女性天皇8人以前の始めての女性天皇なのです。
 宮内庁が管理している(=認めている)のに歴史の表舞台に
 出てこないのは何故なのでしょう。
  翌日以降の新聞も注意深く見ましたが、何の反論も
 反応もありませんでした。
 今日はロシア革命に入る前に新聞の記事から
 お話させていただきます。


    〜 古代史ミステリー 〜

 
◆飯豊天皇は何故、女性天皇に数えられていないのか ◆

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  2005年12月3日

  朝日新聞 朝刊
























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■ 古事記下巻からわかること

おおさぎのすめらみこと        とよかしきやひめのみこと
大雀皇帝(16代仁徳天皇)より 豊御食炊屋比売命(33代推古天皇)まで凡そ十九天皇
   |--------------- 18人 --------------|                     ↑
                                               皇統譜は18代
          本当はもう一人いたはず。

■ 飯豊天皇についての文献

  皇胤紹運録 扶桑略記 日本記(和銅) 愚管抄 神皇正統記
                                     に記されている

  書紀にも雄略記について飯豊記があったが、あとから作為された
  清寧、顕宗、仁賀の三帝記に置き換えられ、三帝記を合わして一巻に編成し
  飯豊記は削除されたと思われる。

■ 古事記より
                                     あおみのいらつめ   いいとよいらつめ
 生みませる御子は市辺之忍歯王、次に御馬王、次に妹 青海郎女 亦の名を 飯豊郎女

■ 日本書紀より
                       あおみ
  磐坂市辺押羽皇子、御馬皇子、青海皇女(一に曰く飯豊皇女という)を生めり

■ 雄略天皇が天皇の跡継ぎをみんな殺してしまう

   16代の仁徳天皇には皇子が三人いて、次々と天皇になった。
   三男の允恭いんぎょう天皇の皇子が20代安康天皇になったが
   眉輪王にわおうに暗殺されると弟の雄略は暗殺の黒幕として
   兄二人を暗殺してしまい、さらには皇位継承権のある従兄の二人
   (飯豊の兄の市辺之忍歯王と御馬王)も殺してしまった。
   雄略には皇子が二人いたが、家臣の妻を寝取って出来た子供なので
   天皇の座につかせることが出来なかった。

                   

■ 雄略天皇の死後

   天皇の権威によって恩恵をこうむっている有力豪族達が跡継ぎを探してくる。
   雄略によって殺された履中天皇の皇子たちの妹の飯豊を天皇にするが
   彼女は巫女的な立場にあり未婚であったため、その後も跡継ぎがなかった。

   さらに豪族達は跡継ぎを探し、大伴氏が15代応神天皇の5代下った孫の
   継体天皇を福井から連れてきた。
   豪族達は継体天皇が福井の田舎から来たので、すぐには受け入れられず
   天皇は10年間河内にいて奈良に入ることが出来なかった。

■ その後の天皇

   清寧天皇は没年の記述がどこにもなく后や子どももいないので架空と思われる。
   飯豊天皇の甥たち(弟が先に帝位についた)の後の武烈天皇は日本書紀などに
   およそ人にあるまじき残虐非道な行為の記述がある。
   雄略が四人の皇位継承者を殺してしまったことをあからさまに出さないように
   中国王朝の「徳を失った王は位を退かなくてはいけない」という故事にならい
   武烈天皇が残酷だったから他の天皇を連れてきたという話を作って
   仁徳王朝が雄略天皇のため系統が途絶えてしまったことを隠しつつ
   辻褄あわせをしている。

■ 新聞記事からわかること

   宮内庁という公式な役所が飯豊天皇の存在を認め、
   どこからも異論も反論も出なかったということで
   仁徳王朝が終わり、継体王朝に代わった歴史が
   意図的に書き換えられていることが推し測られる。

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◆ 天皇稜について

■ 仁徳天皇稜
   完成まで一日1000人で4年延べで1406000人。24億2000万円

■ 昭和天皇 葬儀とお墓の費用
   25億円
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◆ 今私たちに必要なこと


   象徴天皇制の中で、作られた歴史で「世界的にも長い歴史を持った優れた国」
   などと教え込まれることがないように、きちんと学んでいかなくてはいけません。

   日中戦争の最中の「国体の本義」(師範学校修身の教科書)という本の中では
   「日本の天皇は世界の王とは違う。徳を失って位を退くことはない。
    なぜなら神だから」と記述されています。では雄略天皇は?

   敗戦の年に私に「考える人間になれ」と語った特攻隊の方も、
   戦死した私の兄も当然学ばされていたと思うのですが兄の最後の言葉は
   「自分の心に偽らない人間になれ」といういうものでした。
   特攻の方も兄も「国体の本義」を学びながら、苦しんだと思うのです。
   何が本当なのかを極めることが出来ずに死んでいった。

   ですからこの新聞の記事を見た時、私は兄の顔と特攻で亡くなった方の顔が
   浮かんできて、今本当の事を学ばなければ悔いが残るのでないかと思いました。
   


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