間もなく8月15日、60回目の敗戦記念日が来ます。 一般には終戦記念日と言われますが、私は反対。 あくまで、終戦でなく敗戦である。 敗戦には責任がともなう。 戦争の開始を許したのは誰か。 敗戦に至ったのはなぜか。 これらのことについての責任は誰が負うべきか。 終戦とすることでこうしたことが うやむやになってしまっているのではないか。 戦後60年経った今でも 敗戦の責任をはっきりさせていない。 *********************************** 天皇と戦争 ◆ 終戦前後の勅語
これらの勅語には敗戦の意識がはっきりしていない。 そのために戦後60年経った今でも、国民にも政治家にも 戦争絶対反対という強い思いが育っていない。 だから再軍備だとか憲法改正という声があがる。 ◆天皇中心の思想 〜主権在民意識の未成熟〜 ★ 国への忠誠心とか愛国心が、教育勅語によって育てられた。 そのために主権在民になり切れないのではないか。 「祝日」についての規程(資料No.20)にも天皇中心の思想が明確に出ている。 「小学校祝日大祭日儀式規程」〔明治24年 文部省令第4号〕
★ 祝日は全て天皇を祝い威徳を広く子供たちに教えるためのものとして存在している。 では戦後の今日、祝日は真に国民の祝日になっているかといえば、決してそうではない。 現在の国民の祝日にも天皇がらみのことが多い。 「みどりの日」(4月29日)は、昭和天皇の誕生日であり、 極く最近新たに制定された「海の日」(7月20日)は、もともとは、 明治天皇が東北御巡幸の帰途、横浜に安着された日に由来する。 昔から庶民の祭りとして親しまれている「七夕の日」(7月7日)などの方が 国民の祝日にふさわしいのではないか。 <参考>はてなダイアリー「海の日とは」 |
戦争へと向かった時代
・1882年(明治15年)1月4日に明治天皇が下した勅諭
*全文は、「勅語(明治15年)」 をご覧下さい
・山県有朋(参議兼参謀本部長)が中心になって起案、
西周が起草し、井上毅、福地源一郎らが加筆した。
・これを軍隊手帖にしてすべての軍人に配り
暗記するよう命じた。
文章も文字(変体がな)もとても難しい。
読めない字が多い。
それを学歴の決して高くない、
文字にも親しみの少ない18,9歳の農家の青年が
暗記させられ、実践させられた。
上官から質問されたら即答しなければならない。
間違うと拷問。
茨城の農民 仲田与一 一等卒(M35生れ)の軍隊手帖から
◎第一に明示したこと <軍人の守るべき徳目>
忠節、礼儀、武勇、信義、質素など、軍人の守るべき最重要精神。
一 軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一 軍人は礼儀を正しくすべし
一 軍人は武勇を尚ぶべし
一 軍人は信義を重んずべし
一 軍人は質素を旨とすべし
(上官の命は朕が命と心得よ)
◎第二に明示したこと <兵馬の大権を天皇が直接掌握すること>
1.兵権独立主義
@統帥権(兵馬の大権)の独立(勅諭の中の該当する文章)
○我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある。
○古(いにしえ)は、天皇自ら軍隊を率い給う御制(おんおきて)にて、
時ありては皇后皇太子の代わらせ給うこともありつれど、
おおよそ兵権を臣下に委ね給うことはなかりき。
○それ兵馬の大権は、朕が統(す)ふるところなれば、その司々をこそ臣下には任すなれ。
その大綱は、朕みづからこれを摂り、あえて臣下に委ぬべきものにあらず。
○朕は、汝等軍人の大元帥なるぞ。
A大元帥、現人神による統帥
○義は山嶽よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。(死は鳥の毛よりも軽い)
B軍隊は特別任務を負う−軍・行政と分離
○そもそも国家を保護し国権を維持するは兵力にあれり。
兵力の消長はこれ国運の盛衰なることを弁え(以下略)
2.軍隊は政治上、中立主義
C軍人は、参政権・請願権を有せず、言論・出版・集会・結社等の自由権からも除外
○世論に惑わず政治に拘わらず只々一途に己の本分の忠節を守り。
3.国務の一部〜軍令事項(軍の編成、財閥序列の決定、作戦指導)を、
国務大臣(陸・海軍大臣)より独立する軍令機関(参謀本部・軍令部)に移譲。
大臣も参謀本部に口出しできない。天皇直属。
★ 軍が天皇直属で他所から口出し出来ないことが軍部の暴走を招いた根源である。
軍人とは軍籍にあるものをいう。将校、下士官、兵卒すべてを軍人という。
職業軍人は軍人でいい。
しかし、農民、一般人、強制的に軍隊に連れていかれて軍人にさせられた人を
一緒にしていいものか、疑問。
太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)千葉県富瀬村に東部77部隊(高射砲隊)であった話。
民間から召集された兵士の給料は月1円61箋、米5kgの価格、
衣食住は支給されるから、給料はいわば小遣い。
ちり紙など日用品を買うお金として支給されている。
しかし、それを自分で使わず郷里へ送金しているという話が美談として新聞に出た。
便所で紙を使わず、手で拭いて壁にこすりつけた跡がある。
それを見た上官がなぜチリ紙を買わぬか、お前たちは美談の主になってはいかん、と叱る。
★兵士の多くは、働き手のいなくなった家に送金せざるを得ない状況。
一家を養うだけの給料を得ている職業軍人とは一緒にはできない。
1889(明22) 官軍訓令 上の命令には絶対服従、これを第二の天性とする
↓
1900(明33).5 軍部大臣の現役武官制 現役軍人の発言権が強くなった
1913(大 2).6 現役規定削除
1936(昭11).5 現役武官制復活→軍閥の成立
★軍閥が力をつけ上官の命令であればどんなことでもするシステムが
中国での虐殺行為(赤ん坊を股裂きにするなど)を生んだ。
中国からの留学生(18歳)から実際に聞いた話。
彼のお祖父さんは、南京で肉屋をやっていた。
日本兵が買いに来てお金を払わないので「払ってくれ」というと、
「日本人に向かって何をいう」というなり撃ち殺された。
★こうした軍隊の犯した傷跡はたくさんある。その原点は、軍人勅諭にあった。
<参考>「軍人勅諭の意図したもの」
→ 第一次世界大戦の参戦へ