4-2  2005/09/25




  今日はやり残した古代史のまとめです。

 何故日本を作った天皇が二人いるのか?
 
 おかしいですよね?

 その訳を考えたいと思います。
 
 
(変則的に3期の続きです)
                                                  
天孫降臨をめぐる二種の神話から始馭天下之天皇(神武)と
御肇国天皇(祟神)の二人の天皇の存在を考える

                                        資料(No.10)


神話の歴史に裏打ちされている事 違う事


葛城王朝(=神武王朝)のあゆみを神話と比べてみると

3世紀なかば(弥生中期)葛城山のあたりに葛城族と(=事代主神ことしろぬしのみこと)と
鴨族*先祖=賀茂建角身命かもたけつのみのみこと神武東征の時道案内した八咫烏やたがらすの化身)
尾張族*先祖=火明命ほあかりのみこと)がいた。
     (*ともに天皇を守る神)


3代安寧天皇が后にむかえたのは鴨王の女(事代主の孫)であることから
まず葛城族と鴨族が政治的に結合し部族国家として発足した。
5代孝昭天皇は尾張族の祖の妹を后に、7代孝霊天皇は后を大和の豪族、磯城一族の女を迎え
宮居(都)を大和平野の中央に移した。

このことから葛城に生まれた部族国家は、新たな血縁関係を軸に王朝国家の基盤を築いたといえよう。
8代孝元天皇は河内国の物部氏から后を迎え葛城王朝の領域は前半の時代より拡張されたとみてよい。


天皇としては実在しなかったといわれる第9代までの天皇の系図に

実在の葛城の部族の関わりが投影されている

    

神話が3世紀の葛城王朝(神武王朝)の歴史的事実と重なっている

武内宿禰の墓は葛城にある。有力な豪族である蘇我氏の祖先と同じ場所出身では
権威が保たれない → 天武としては祖先は葛城以外の場所の出身とせねばならない。


<国譲り神話>

大己貴神おおなむちかみ(=大国主命) 出雲の神         高皇産霊神(書紀本文)
                                     }→
事代主神                    葛城の神「決断」      天照大神(書紀別伝1)

(地上の国を高天原へ差し上げる国譲りをを出雲に10月集まって相談した。→神無月)
                                            (出雲では神有月)

事代主神が国譲りを無条件で約す → 国譲り神話に


5世紀はじめ 仁徳王朝が九州からやってくる

葛城の第1代神武王朝 → 大和の第10代崇神王朝 → 第14代応神・仁徳王朝(九州より難波へ)

万世一系の非連続性

上記の変わり目で王朝が交代していると考えられる。
さらに、第25代武烈天皇の死で天皇家は応神・仁徳王朝一旦断絶。
次の継体天皇は応神の五代目とされる子孫で大伴氏が福井より迎えた。

6世紀末 統一王朝出現 7世紀に紀記が作られる


日本書紀編纂時の意向により、神功皇后は7世紀新羅征伐をした第37代斉明天皇をモデルに。
(真木孝次郎 ”日本古代の氏族と天皇” )

持統天皇の嫡子草壁皇子が夭折したので、その子軽皇子が即位(第42代文武天皇)
その後見役が持統太上天皇である。 (上山春平 ”続・神々の体系”)


天孫降臨は九州でなく葛城なのでは?


日本書紀本文では降臨を命じたのは高皇産霊神たかみむすびのかみ
高皇産霊神は書紀本文では高天原の主宰神。
天照大神が皇祖神とされる前の皇祖神。

書紀本文には神勅の記述のないことから
王土の思想(ニニギノミコトの子孫の歴代の天皇が国土の正当な支配者)
を述べた神勅、神宝(持ち主が正当な支配者)が載っている別伝1より
天照大神による降臨神話が正当化された。

ニニギノミコト高千穂の峰降臨にあたり先導役を申し出た猿田昆古神は
役を果たした後、高天原から降ってきた天鈿女(後の猿女君=巫女として仕える)
に伊勢の狭長田さなだの五十鈴川の川上に送られたとされる。
(三重県松坂市にし間邪詞あさかの阿射神社は猿田昆古を祭る)
猿田昆古神=猿は太陽神 田は稲田の神 伊勢の海人系氏族の信仰した神。
日本書紀には ちまたの神 とあり、道祖神信仰とも結びついている。


 状況証拠は降臨は葛城なのだが・・・

  * * * * * * * * * * * * * * * 

書紀、古事記、古語拾遺では
ニニギノミコトが降り立ったのは高千穂の峰(右下)
その後 吾田国の長屋の笠狭之崎あがたのくにのながやのかさきのみさきへ(左下)

     

笠狭の御崎(現 薩摩半島西端 野間岬)で美しい姫”神阿多都比売かむあたつひめを娶る。
(大山津見神の女、別名 木花之佐久夜昆売このはなのさくやひめで隼人の女神)

  諸氏族の祖神と結びつかない天照大神(日の神)の

  直系とすることでその皇統を継ぐ天武以下の天皇の神聖化と

  統治者としての正当性を主張する必要性が生まれた。


                     ↓

天照大神 新たな皇祖神が登場

 白村江の敗戦、壬申の乱、と不安定な政治状況の中、なんとしても
天皇家の権力を絶対化するために 天武天皇や持統天皇は自分たちが
日の神の子孫であるということを立証するために正史の日本書紀に 記述させたといえる


  天武時代に「日の子思想」作られる。

  日の子=天照大神の子孫・国土の正当な支配者

  皇祖神は多くの氏族の祖神とされる高皇産霊神でなく

  天照大神と主張し始める。



■ 持統天皇 雷岳(奈良県明日香村雷にある丘)に御遊いでましし時、柿本朝臣人麿の作る歌一首

   「大君は神にし座せば天雲の雷の上に盧らせるかも」 万葉集 巻三雑歌

■ 壬申の乱 平定しぬるのちの歌二首

   「大君は神にし座せば 赤駒のはらばふ田井をみやことなしつ」 大伴御行

   「大君は神にし座せば 水鳥の多集すだく水沼をみやことなしつ」 詠み人知らず


天孫降臨をめぐる記述

持統天皇は孫の文武天皇に天皇になるよう命じたが、
これは天照大神(祖母)がニニギノミコト(孫)に王土(日本国)の
統治権を与えた(天孫降臨の神勅)に重ね合わせたと考えられる。
(上山春平 ”続・神々の体系)


日本書紀の天孫降臨の記述を詳しく検証する


どのように記述されているのか

書名 降臨指令者 神宝 神勅
日本書紀本文 高皇産霊神
別伝1 天照大神 玉、鏡、剣 王土の思想
別伝2 高皇産霊神 神鏡の思想
別伝3 降臨の記述なし
別伝4 高皇産霊神
別伝5 降臨の記述なし
別伝6 高皇産霊神
別伝7 降臨の記述なし
別伝8 降臨の記述なし
古事記 高皇産霊神・天照大神 玉、鏡、剣 神鏡の思想 
古語拾遺 高皇産霊神・天照大神 鏡、剣 神鏡の思想・王土の思想

 * 古事記の神勅
  この鏡は専もはら我が御魂みたまとして、吾あが前を拝いつくが如いつき奉れ
  次に思金神おもひかねのかみ(=多くの思慮を兼ね備えた智力の神)は
  前のことを取り持ちて政まつりごとせよ
(神鏡の思想)


明治以降の教科書がどのように天孫降臨の神話を取り上げたか

     
          1943年(S18)小学国史上巻(5年生用)


明治以降、昭和時代の教科書に載せられていた天孫降臨の命令者は
日本書紀本文の高皇産霊神でなく別伝1の天照大神であった。
このことは一部の専門家にしか知られてない。

日の子思想を天皇制の基本理念としてとらえ、

天孫降臨以下の神話を歴史的事実として教科書に記述し、

と天皇への忠誠心と神格化(現人神)を教育現場で教え育てた。


その結果、天照大神の方を上位の神と位置づけ延喜社格では最高位だった
高皇産霊神を祭神とする高天彦神社(在、葛城)は明治期に最下位の村社となった。


初代天皇が二人いる訳

日本書紀の記述から

 一代 神武天皇  =  始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)

 十代 祟神天皇  =  所知初国之御真木天皇(はつくにしらすすめらみこと)

この二人の初代の天皇の存在を書紀に記述する時、編纂にあたった官人たちを
悩ましたと思う。

結局、現在の歴史用語を用いて答えるとすれば、3世紀に成立した部族国家
(葛城王朝=神武王朝)が4世紀中頃に統一国家に統合され大和政権(大和朝廷)
が成立する。
その大和国家の発展の歴史から部族国家の初代の王(神武天皇)と
統一国家の初代の王(祟神天皇)の存在を整合化したのではないだろうかと思う。



* 目次一覧へ *
 管理人からお詫び

読んでくださっている方ありがとうございます。
先生のお話がその場で終わってしまうのが惜しくて
このお話を記録し、たくさんの方に見ていただきたいと強く願い
レポートをアップしてきました。
遅くとも次の回までにはアップすると自らに課してやってきましたが
あまりにも自分自身の歴史の素養のなさから
古代史&書紀などへの記述を学ぶ回あたりから、ついてゆくのが大変になり
いちいち調べて理解しながらでないと進めなくて
7/10分はほぼ2ヵ月かかってやっと仕上げました。
今回の9/25の分は講座の最中からちんぷんかんぷんで
本当に勉強出来ない子どもの気分をとことん味わいました。
チェックを頼む三人衆の返信は

Y 「今週は風邪引きで寝込みがちでした。」
I  「遅くなるけどちゃんと目を通すからね、ごめん」
O  「今ざっと読んだだけですが、文章そのものは分かるのですが、
   それによって何を読み取るべきか、ということが分からない、
   という気がしますね。」

ますます迷宮へ。

とりあえず資料を見て並べたものを先生に見て頂いたところ
一晩できれいに整理し追加、訂正、削除、置き換えなど等
合計45箇所指摘してくださいました。



こんなダメ管理人ですが、胸を張って言えることは
だからわからない人がわからないことがよーくわかるのよ。ということで
習うと納得し、歴史の筋道がよーく見えてくるのですが
習う前の状態の人が本当に多くて、そんな人がたまたまこのサイト見てくださって
勉強のお手伝いが出来たらもうそれはとても幸せなこと。ありがたいことです。
これからもお仲間と一緒に頑張って続けてゆきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
                              サイト管理人  2005 10/10



* 目次一覧へ *