2004/10/4


 善方一夫先生。73歳。
 
 穏やかで優しくて硬骨漢。
 講座のあとは近所で買ったお昼を食べながら
 数人でお喋りするのですが、心が温まるような
 素敵なお話もたくさん聞かせていただけます。
       大降りの雨でしたが前回より数名増えて机を一階から運んできました
           歴史の成績はお粗末きわまりなかった管理人の独断による講義のまとめ。


不況で国内の生糸製品がだぶつき活路を海外に求めた日本。
市場として朝鮮にちょっかいを出します。
不凍港がどうしても欲しいロシアも朝鮮に強い関心を持ち
列強諸国も自国の利益のために虎視眈々と狙っています。
朝鮮を巡って清国と戦争を始めた日本は勝って得た巨額の賠償金により
戦争行け行けどんどんの世論の盛り上がりに
政府も国民もみな戦争へと向かうスパイラルにはまってゆきます。
        

 李氏朝鮮を巡っての三国の立場と思惑
宗主国。西太后の時代。国力低下中。
日本 義戦(朝鮮の独立のため)と言いつつ本音は領土が欲しい。
ロシア どうしても不凍港が欲しい。欲しい。欲しい。


               閔妃(ミンビ)暗殺事件

  韓国では忠臣蔵のようにこの事件が何度も繰り返し劇になったり
  ドラマになったりしているので誰でもが知っています。

                  *****

  20年前の大橋巨泉が司会をしていた日本テレビで放送されていた番組で
  その当時韓国で放送された閔妃暗殺事件のドラマを見ました。
  (その他「予想ドキュメンタリー」の番組も見てそのリベラルっぷりに驚く)

    番組内容

  若く美しく聡明で国民的な人気があった王妃閔妃。
  始めは親日的であったのが日本の横暴に次第にロシア寄りとなり
  1885年クーデターにより反日政権を樹立。
  日本政府は公使と書記官と朝鮮浪人岡本柳之助などにより
  10月8日未明王宮に忍び込み閔妃を殺してしまう。
  そして遺体を裸にし局部を検査し油をかけて焼くという残虐な仕打ち。
  国民は悲嘆にくれる。

                  *****

  その後犯人達は広島で裁判にかけられるも無罪となり
  くにに帰って歓迎を受ける。

  1886年親ロ派政権が出来ロシアの公使館に王宮を移す。

         
日本の教科書にはほとんど出てないこの事件
  
  日本側が刺客を送って王妃を暗殺するというショッキングな事件。
  日本で一番売れている山川出版にもその他の教科書にも出ていません。
  実教出版には短く記載されています。

  余談ですが
  教科書の「新編日本史」は本屋さんでは売っていません。
  神社に置いてあり賛同のためにか購入時署名を求められます。
  
  

1894(明治27) 東学党の乱 をきっかけに 日清戦争へ


朝鮮で減税と排日を要求する農民の反乱が起き政府に頼まれて清が出兵。
日本も対抗して出兵しどんどん兵を増強し朝鮮の内政改革を巡っての対立から
8月1日宣戦布告し日清戦争始まる。
(本当は7月25日に輸送船団を奇襲して戦争を始めている)←日本の得意技


                 一兵士の見た日清戦争

    長野県諏訪郡 二等卒(最下級) 窪田仲蔵の従軍日記


  私たちが旅順の町に入りましたら日本兵の首が木の台の上に
  晒しものになっていました。
  それを見て怒りが湧いてきて中国兵と見るや旅順市中皆殺しにしました。
  道路などは死体だらけで歩くのにも困ったほどでした。
  人家にも押し入って皆殺しにしましたので、だいたい一軒で5〜6人死んで
  流血も凄く悪臭も漂っていました。
  捜索隊を出し追ったので敵は武器を捨て逃げるのですが
  これを切り捨てるのは愉快極まりなしでした。
  この時我が軍の砲兵は後ろの方で「天皇陛下万歳」を三呼しました。
                  〜略〜
  その夜は戸や桶などを焚き付けにして夜を明かしました。
  夜が明けて飲み水を探しましたが死人だらけで
  飲めるような水は見つかりませんでした。
  この時酒や菓子や毛皮などを略奪し
  将校の中には虎の毛皮を取ったりした者も大勢いました。
                  〜略〜
  この戦いの後戦友と共に裏町に入ってみれば
  五人一カ所で死んでいるところに大きな犬がこれを守っていました。
  きっとこの犬の主人だったのでしょう。

  
  (管理人コメント)
    本当は「此ノ時余等ハ・・・」という文体を現代文に直しました。
    これを読んだ時ごく普通の人間が戦争の狂気に絡め取られていることに恐ろしさを覚えました。
    犬を飼っている私には最後の光景が強烈でした。
    (世界中の愛犬家の皆さん!戦争に反対しましょう!)



1895(明治28) 下関条約

*当時のかつての自由民権論者の声

 自由党・板垣退助   「東北3省(満州)と台湾を割譲させよ」
 
 立憲改進党・大隈重信
            「4省(台湾と向き合った中国領土)を領土とせよ」

 (管理人コメント)
 彼らのような自由民権論者さえもが!
 今振り返るとその当時は世界の平和のための視点がありませんでした。
 ひたすら他に負けないためには戦争に勝つことが正義と考えられていたと思います。
 きっと戦争で勝つことはオリンピックで日の丸を揚げるのと似たようなことだったのかも。
 21世紀に生きる私たちは自国の利益だけでなく世界の人々と共に生きるために
 日本を理解しそして世界を理解することが生きてゆく指標になるのではないでしょうか。

  

三国干渉に切れる日本

 
 遼東半島の割譲が気に入らないロシアは
 フランス ドイツ 両国を誘って同半島の返還を要求。
 日本は多勢に無勢で泣く泣く受け入れるが
 ロシア憎しの思いを募らせ軍備を増強して行く。

日本の植民地支配が始まる


 下関条約で領有した台湾は始め抵抗があったが武力で鎮圧。
 すでにフランスが製糖業で入っていた下地があり
 フランスのやり方はゆるやかだったので
 日本も軍政中心の統治から阿片を使っての民政中心の統治を敷く。
 (朝鮮よりゆるやかな統治だった)

 日清戦争後 大連 旅順 を租借(中国の領土だが日本が統治)
 
 関東省を守る軍隊を関東軍と呼ぶようになる。

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