3-8  2005/06/26


 
これは明治の教科書の復刻版です。
 「親の恩」という歌が入っていますが
 親は人間ではなく鳥です。
 とてもいい曲です。

 先日 Peace Live 2005 という
 昭和女子大の人見講堂で行われた
 JR東労組、青年部主催の会に行きました。
 始めに歌ったのが
 「願い 子ども達の笑顔のために」
 という労組のテーマソングでした。
 若い青年たちが300人ほどいて
 今時の若者はという言葉は言えません。
 胸が熱くなりました。


そこで高木敏子さん原作の「ガラスの兎」という85分の映画を観ました。
私も3月10日の空襲で体験したことを思い出し涙が流れてきました。
是非皆さんも機会がありましたらご覧になってください。

 お勧めの本。

 東京大空襲の悲劇は避けられたのではないか。
 負けるとわかっていた戦争を何故早く止められなかったのか。

 天皇制とは何かということを検証し、
 天皇の責任まで言及したこの本の作者は
 あの「美味しんぼ」の原作者雁屋哲さんです。
 「マンガ 日本人と天皇」いそっぷ社 1575円



初めての実在の天皇と言われている祟神天皇について


何故国を造った天皇が二人いるとされているのか?

実在の天皇は祟神天皇からと言われているが、絶対的な権威のために神様を祖先に作り上げた。

古事記 日本書紀
第1代 神武天皇
神代(1〜9代)
かむやまといわれびこすめらみこと
神倭伊波礼毘古天皇
はつくりしらすすめらみこと
始馭天下之天皇
第10代 祟神天皇
人代(10代〜)
はつくにしらすすめらみこと
御肇国天皇
はつくにしらししみまき
所知初国之御真木天皇

誰が日本神話を作ったのか

日本書紀に下記の記述

皇太子、大臣ともに議はかりて天皇記 及 国記 臣・連・伴造・国造・百八十部ももやそとも
并に公民等おおみたからども本記
もとつふみを録す

天皇家にまつわる権力者たちが作った
   〜 昭和18年版 初等科国史 上 〜

第一 神国

三 五十鈴川

その後も、御代御代の天皇は、民草を子のやうにおいつくしみになりました。

         ・・・略

   国民も天皇を慕い平和が続いて日本の威光は海外までとどろき、
   日本は美しく豊かで国民は一族の頭に従い、
   天皇に仕え農業に励んでいたと
書かれている
   教科書で天皇が神であると洗脳している

かうして、五百年ばかりの年月がたつて、第十代祟神天皇が御位におつきになりました。
天皇は神鏡を身近く奉安しているのは、まことにおそれ多いことである。とお考えになり
御鏡に御劔をそへて、これを大和の笠縫邑におまつりになりました。

         ・・・略

世の中はいよいよ開け、人口は多くなり、産業もまた進んで来ました。
そこで祟神天皇は、御惠みを國のすみずみまでおよぼさうとの思し召しから、四人の皇族を
北陸・東海・山陰・山陽の四道へおつかはしになりました。これを四道将軍といひます。

    

また人口を調べ、みつぎ物を定めて、政治をお整へになり、池をほらせて農業をお進めになり、さらに、諸国に命じて船を造らせ、海國日本の備へを固くなさいました。
このころ、朝鮮の大加羅(任那みまな)といふ國が、となりの新羅におびやかされていて
わが國に助けを求めましたので、天皇は鹽乗津彦に軍勢を授けて、おつかはしになったこともあります。

祟神王朝(大和王朝、原大和国家)資料No.38

4世紀に出来た日本の原型

四世紀半ば日本の国の原型が現れ、小さな地域の支配でなく連合で新しい部族国家が誕生

■ 祟神天皇
   吉野川上流渓谷地方を根拠地とした狩猟、漁労を生業とする部族の首長
   在位68年 119才没(!?)

■ 宮居
   磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや) 現桜井市金屋

  ※ 祟神も三輪山にいた部族であるという説もある

教科書に見られる大和の表記

多い順に
1.大和政権
2.大和朝廷 ・・・ 皇室がリーダーであったというのは?
3.大和王権 ・・・ 部族国家の王であったのでこれが適当だと思われる
4.ヤマト政権

治績(日本書紀)

4年 群臣に忠貞をつくすべき詔を発布

<内容>
神武4年の詔=皇祖の霊を祭り大和統一の感謝の報告
祟神4年の詔=上記のものに、天皇に隷従する官人としての
           忠節をつくすべきことを宣し機構刷新の企て   
5年 国内に疾病が流行
6年 神祇に請罪し天照大神を豊鍬入姫命に託して笠縫邑に遷祭する
ここで初めて先祖として天照大神がクローズアップされる
巧みに古くからある神と並び奉る

<政教分離>
祭祀権を専門的巫として未婚の皇女に譲る
(お供え物の食べ物は女性の得意分野)
     ↓
より広い地域を治めるために今までよりも強い権力が必要になったので
祭祀と分けて行政権を男性が握る → 男性社会の出現
7年 亀卜うらないを行い八十万神(やそよろずのかみ)を祀る
疫病やみ国内静まる
10年 四道将軍の派遣(大和中心に近畿山陽山陰を平定)
神話は北陸東海まではとても無理なはず
大阪神戸辺りまでは婚姻関係などで勢力を伸ばしていた

朝鮮を意識して出雲などには勢力を伸ばそうとした
12年 課役を男女に課す
男性には山野からの獲物  女性からは織物
17年 船舶を造らせる
朝鮮の存在を認知していた 文化や物の交流があった
48年 皇太子をたてる
60年 出雲大神宮の神宝、検校のことで出雲振根を誅す
62年 農業を奨励して池溝を開く 用水の開発
西から伝わってくる 西の文化 九州北部山口より
65年 任邦みまなが朝貢す (しかし朝鮮にはその記述なし)
3世紀卑弥呼の時代に朝鮮半島の狗邪韓国くやかんこくは九州王朝の支配下

疫病に関する神話

祟神天皇の治世に疫病が流行って国が滅びそうな勢いであった。
天皇は夢のお告げでが大物主大神の子孫の意富多々泥古おほたまねこを神主にさせて
私を祭れば大丈夫と言われた。
大阪にいるのを見つけ出すと「私は大物主大神と活玉依毘女の子ども」と言ったので
大神神社で大物主大神を祭ったところ疫病が収まった。

           

狩猟民の部族であった祟神は紀伊の国から攻め上って農業国であった大和を征服した。
しかし祟神天皇は大和の先住民族の神であった大物主大神を信仰した。
征服でなく融合を目指した平和主義の天皇であったことがうかがえる。
ブッシュも小泉も見習いなさい。。
・・・余談・・・ 現代におけるアメリカの戦略についての考察

国民の不満が溜まると政治に目が向き、労働運動が盛んになる。
収入が増えて暮らしが豊かになると国民は文句を言わなくなる。
生活水準が上がるにつれて政治に無関心になり、給料が上がることに関心が向く。

50年代中国に中華人民共和国が生まれて資本主義国家の領域が狭められ
アメリカ中心の世界が侵食された。
それに対するアメリカの政策パックスアメリカーナによって
ドルと核の傘の中で守られる平和という世界に日本は組み込まれてゆく。
池田政権は所得倍増政策を掲げ、日本は高度成長時代へと突入してゆく。

企業は莫大な広告費を使い国民の欲望をかき立て、政治家に献金する。
堤義明曰く「高度成長時代の私たちはハツカネズミのようだった」
誰が私たちをハツカネズミにしているのだろう?

私たちはハツカネズミの車からどうすれば降りられるのか?
それは未来が暗くなる便利さをやめること。
アメリカとの強いつながりを切って生活レベルが落ちたとしても戦争で死ぬよりまし。
アジアと連携して生きてゆこう。
祟神天皇のように、どこの国とも争わないで、どこの国も尊重して生きてゆこう。


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