3-4  2005/4/24



 
 
私は大切な人に会いに毎年京都に行きます。

 シベリアで亡くなった兄と、兄を慕い続けた義姉。
 義姉には「時を大切にしなさい」と言われました。

 偶然会った特攻隊の方からは
 「考える人になりなさい」と言われました。

 春、はらはらと桜の花びらが散り落ちてくる時
 ああ、また会えましたね。 と思うのです。



            教育勅語の背景と発布後

教育の普及につれて西洋の文明が急激に入ってきて
自由民権運動など体制に対する批判的な勢力も出てきた。
政府と天皇はともに危機感を持ち、道徳的な教育の基本理念を作り
それを国民教育の基盤としようとした。

教育勅語のたたき台になったもの (資料N0.10)

その1 中村正直の文部省案


忠孝は人倫の大本にして其原は実に天に出つ我国に生まれるものは皆是れ朕が臣子なり
其君父たる万世一系の帝室に対しては常に忠孝の心を存し各々其尽すへき職分を尽くし
天意に叶う事をむべし
父は子の天なり君は臣の天ナリ君に対して敬愛の誠を致す之を忠と云ひ

               ・・・・・略・・・・・

深夜暗室の中に存て発生する所の一念は善にもあれ自己一人の外は誰ありて是を知らすと思へとも天の照臨するところなれば自ら晴天白日公衆の面前に発覚し掩へとも掩はれす隠せとも隠されず其感応の捷なるは声の響に応し影の形に従ふが如し天人一致内外洞轍顕微間なしとは即是なり之を知らば人々争でか其独を慎み畏れ神を敬はではあるべき
吾が心は神の舎する所にして天と通する者なり・・・


               ・・・・・略・・・・・

朕が臣子たらんものは深く畏れ痛く誠め己を修めて以って天意に叶ふ事を努めよ

                    (注・原文のカタカナをひらがなに変えました)

◆ 中村正直 ・・・ 渡英しヨーロッパの思想を学び、帰国後「西国立志編」を出版

 彼の起草した案は忠孝も取り上げられているが「天」「天意」「神」など
 根底に宇宙の主催者である神を敬う敬天、敬神の精神があった。
 井上毅がこの案に対してキリスト教精神と批判し不採用となった。

その2 元田永孚 (ながざね) 天皇の側近の案



我皇祖皇宗国を肇め民を育し・・・・略
臣民は君を敬して元首父母となす父慈に子孝に兄友に弟恭に夫婦和順朋友相信す之を合わせて五倫の道とす
               ( 五徳ともいう 忠 孝 恭 和 信 )

               ・・・・・略・・・・・

この大道に由らんと欲せは智を開き仁を体し勇を養わざるべからす
               ( 三徳  智 仁 勇 )

               ・・・・・略・・・・・

・・・以って中外に施して悖らす汝臣民と共に永久に率由して失わさらん事を庶幾ふ

                   (注・原文のカタカナをひらがなに変えました)
◆ 元田永孚・・・明治天皇の家庭教師役。儒教を教えた。

  子供たちを通じて国民に五徳三徳を身につけさせ皇運を盛り上げる。
  教育勅語に五徳三徳は取り入れられた。

教育に関する勅語 (資料No.3)

内閣法制局の井上毅と元田永孚、山県有朋、芳川顕正らによって作られ
1890年(M23)10月30日に発布。
天皇自身の言葉という意味合いから天皇の署名のみで、国務大臣の署名(副署)はされなかった。

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣ノ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
   御名御璽

(国体について)
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
(臣民の徳について)
 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
(どこの国でも通用する=のちの八紘一宇)
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

                                     〜国民道徳協会訳文による〜
のちに英訳されて海外にも紹介される

発布後の様子

雑誌「真理」 1891(M24)

10月30日の発布の日の帝大の様子。
天皇自身が署名された教育勅語が下賜された。
加藤総長が写しを読んだ後に真筆を広げて見せたが誰も礼拝する者はいなかった。

官報 1891(M24)

全国高等中学校、旧制高校ではお正月に奉読式。
式場整列した生徒は銃を捧げつつをし、君が代吹奏。
教育勅語奉読され天皇皇后の写真が飾られた。
山口の高等学校では百一発の礼砲。

内村鑑三事件

校長が病気で教頭が奉読した後で五名ずつ礼拝したが
キリスト教徒の内村鑑三が礼拝しなかった事が問題となった。
病床の校長は「挨拶として礼をしてくれ」と手紙を出したが内村は反論する。
「天皇が礼拝させるてめにしたものではなく、日常生活の規範を述べたものである」
家に投石があったり、短刀を持って面会を求める者も現れ、辞表を出したが解職された。
同僚の木村は礼拝はしたが内村支持で解職された。
凄まじい圧力の中内村は床に伏すが、看病の妻は肺炎をおこして23歳で病死する。

公教育の場では天皇に対する不服従はタブーであるという、見せしめのような出来事。
現代の日の丸君が代強制と重なります。

1891(M24) 小学校祝日大祭日儀式規程 (資料No.20)

6月17日
御真影への拝礼、万歳奉祝、勅語奉読、校長訓示、祝祭日唱歌合唱、日の丸掲揚

1893(M26)祝祭日に歌うべき唱歌8曲を官報に告示

祝日 ・・・ 5日間   紀元節 建国記念日 天長節 神嘗祭 新嘗祭(大嘗祭)

祭日 ・・・ 孝明天皇祭 春季皇霊祭 神武天皇祭 秋季皇霊祭
♪紀元節(神武天皇の即位の日)の歌♪

雲に聳ゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世を
仰ぐ今日こそたのしけれ
海源なせる埴安の
池のおもより猶ひろき
めぐみの池の浴みし世を
仰ぐ今こそたのしけれ


♪天長節(天皇の誕生日)の歌♪

今日の吉の日は大君の
生まれ給ひし吉き日なり
今日の吉き日は御光の
さし出でたまひし吉き日なり
ひかり通く君が代を祝え諸人もろともに
恵み遍き君が代を祝え諸人もろともに

(注・皇后の誕生日=地久節→母の日)


君が代 何度かの変遷

1869(M2) 軍楽隊が出来る

ジョン・ウイリアムフェいトン(英)が国歌がないのはおかしいと薩摩の大山巌に呼びかける
琵琶歌、蓬莱山から歌詞つける
※元の歌は恋人に対する歌であった

1880(M13) 雅楽調も直す

1888(M21) また作り直す

エッケルト、海軍、軍楽隊改めて作る
対日本礼式として日本と条約を結んだ各国に送った

番外編・幻の新国民歌があった

1953(昭和28)年に壽屋、現サントリーが
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」のように口ずさめる歌をと公募し
5万をこえる詞、3千をこえる曲のなかから選ばれた歌。


(新国民歌)  われら愛す

        作詞=芳賀秀次郎
        作曲=西崎嘉太郎
        編曲=高浪 晋一

1、 われら愛す
   胸せまるあつきおもひに
   この国をわれら愛す
   しらぬ火筑紫のうみべ
   みすずかる信濃のやまべ
   われら愛す涙あふれて 
   この国の空の清さよ
   この国の水の清さよ

2、 われら歌ふ
   かなしみのふかければこそ
   この国のとほき青春
   詩ありき雲白かりき
   愛ありきひと直かりき
   われら歌ふをさなごのこと
   この国のたかきロマンを
   この国のひとのまことを

3、 われら進む
   かがやける明日を信じて
   たじろがずわれら進む
   空に満つ平和の祈り
   地にひびく自由の誓い
   われら進むかたうでくみ
   日本のきよき未来を
   かぐわしき夜明けの風を


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